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          大貫優弥 元背番号 99

結成当初メンバーの若きエース。下館リーグ、総和リーグ昇格に貢献した選手、3シーズン28得点の驚異の得点力を記録する等、チームを牽引した。果敢に攻める攻撃的なスタイルと裏腹にピッチ外で律儀な性格にチーム内の評価は高かったが、突如レヴァークーゼンへの移籍が決まりチームを退団。VANHOUTEN GALAXYの中核として、靏見裕二、野口登史とNTOを結成し得点を量産した。

2008バンホドール受賞

             須田佳紀 元背番号24

結成当初メンバーでいまだに伝説と言われるVANHOUTEN歴代最高のディフェンダー。

抜群のキープ力と統率力で、守備に攻撃にオールラウンダーぶりをいかんなく発揮。VANHOUTEN GALAXYとしてフットサルの優勝を総なめにする。フランス名門、リヨンに移籍しチームを退団。

 

 

             斎藤恭平 元背番号

結成当初メンバー、レッドリボン軍不動のシャドウストライカー、その小柄な体を駆使してサイド突破を得意とした。そして代名詞ともいわれる「地を這うミドルシュート」は今でもVANHOUTENに語り継がれる伝説で、調子が良い時は誰も止めることのできないビッグマウス。

トルコの強豪ベンフィカにレンタル移籍中。

 

          土屋直樹  背番号8

かつてVANHOUTENの前身だったレッドリボン軍、FC男塾の最大ライバルチームであったⅡTKOから電撃加入した、テクニック系MF。

華麗なボールタッチと軽快なタッチ、ボールさばきで相手どころか味方をも魅了した。

現在はVANHOUTENスポンサーadidasジャパンのCEOとしてチームを支えている。

2007年バンホードール受賞選手

             木村 サトシ    背番号??

トライアウトにより入団した初めての選手。

そのボールタッチと身のこなしは初練習時にチームの度肝を抜いた。

現在でも最もチーム内で話題になる選手の一人で、試合前にネットにいれたボールでのウォーミングアップは伝説として語り継がれている。

残念ながら試合に出場することのないまま、アーセナルに移籍、その後ガラタサライにレンタル移籍し、昨年惜しまれつつも現役引退した。

 

          山中 大史 元背番号14

DF,FWとどのポジションを任せても高水準のレベルを維持できる万能選手、一時は器用貧乏と比喩されたこともあったが昇格するにつれその実力をいかんなく発揮、不動のCFWとして伝説にその名を刻んだ。

別名ブラックレオパード。

 

その当時最高額といわれる移籍金でチェルシーに移籍するが出場機会を得られず、現在は上海申花で活躍中。

          郡司 博信 背番号?

別名、スーパーノバ、中学時代から地元で有名な選手として名を馳せ特待生として栃木の名門入学、高校サッカーの頂点 選手権に出場する。惜しくも二回戦敗退となるが、その悔しさをバネに大学サッカー界へ。

その後、群馬県のtonan前橋入団、現在は関東リーグ早稲田ユナイテッドに加入し、活躍中。

VANHOUTENで冗談抜きで一番活躍するOBでチームに夢と希望を与える。

 

             山本勇司     背番号11

その抜群の運動神経を武器に、都合によりなかなか出場できない中、結果を残すポテンシャルを秘めた才能溢れる選手。

これといった記録を残すことはできなかったがチームメイトの目に焼き付いたのは間違いないだろう。

 

現在は、スイスのバーゼルにレンタル移籍中。

歴代

          横田 仁朗 背番号18

結成当初メンバーで初心者ながら、チーム一の努力家で練習や試合に打ち込む姿は、VANHOUTENの模範となっていた。

下館リーグ9節のロングシュートでの初ゴールはそんな横田の努力が成果となって再現された伝説の名シーン。現在はポルトガルリーグ、マリティモで活躍中。

 

 

 

 

             村田 京介     背番号?

結成当初メンバーで、大貫とともに電撃大型補強のうちの一人。

 

ポジションはFW、SMFと器用にこなし時折見せる魔法のようなプレーで

小さな魔術師と目される等、VANHOUTEN Reservesとして活躍、しかしシーズン途中に自らの魔法により行方不明になりその後は消息不明となる。

 

レジェンドプレイヤー

          安喰 シウビオ 背番号?

南米の名門サンパウロFCからVANHOUTENに期限付き移籍した相性’’シビー’’。

圧倒的なスピードと卓越したドリブルで相手を翻弄し一気にゴールまで迫るそのプレーはこれまでのVANHOUTENにない、南米特有のラテンのリズムをもたらした。

出場した試合では圧倒的な存在感を放つも数試合の出場で帰国。

 古河市と南米の架け橋となった。

 

 

 

 

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